虚実

何しろ、あまりに忙しくてブログを更新する余裕がなかなく、とうとう4月中は更新出来ずに今日を迎えてしまった。 


それにしても、県大会での皆の活躍、本当に心が踊った。


中学団体組手優勝。


これは、開設当初の目標の一つにしていたので、手が届いたのは、本当に嬉しい。


僕が好きな歌で座右にしている明治天皇の詩がある。


大空にそびえて見える高嶺にも

登れば登る道はありける


遥か遠くにそびえる高嶺を目指して3年。

漸く2、3合目といった処だろうか。




私には心より尊敬申し上げる師が何人か、おられる。


当然、皆、自分など遥かに及ぶべくもない、超一流の空手道家なのだが、そのうちの一人の先生が、先日、ご一緒させて頂いた折りに、ご自身が着ておられた羽織を下さった。


これは、非常に光栄な事だし、物凄く感激もしたのだが。

翌朝、目が覚めて、これは結構大変な事だと思いはじめる。

着るものを拝領しているのだから、やはり着なければ失礼に能いする。と。


着るのが礼儀である。

礼を失すれば無礼である。


元々、和装が好きで普段から作務衣なんぞを着たりもするので、羽織に密かな憧れもあったりして非常に嬉しかったのだが、さすがに羽織姿で街中を歩くと言うのは、背伸びをし過ぎている様な気恥ずかしさが先に立つ。


だが、これも修行。

拝領した以上、師の気構えを見倣えとばかりに勇気を出して街中でエイヤと着てみた。


ところがこれが以外と悪くない。

悪くない処か、妙に落ち着くのである。


お正月でもないのに、若輩の坊主頭の髭面が羽織を着て歩いてるのだから、実際はどうかは解らないが、少なくとも絶えず見られているという意識がつきまとう。


ただ、この見られてるという意識が有ると、自ずと背筋が伸びる。


それに、無用な威圧感等を与えないように物腰は柔らかくなるのだが、自分も武道家のはしくれなんだと言い聞かせ背筋を立てているから、立居振舞いは、反面、自然と堂々となる。


これを下さった師範は、私に、臆さずに、どんどん着なさいと仰ってくれた。


…なるほと…。


これは、そういう事かと合点がいく。




もう一人の師範の話もしたい。


豪傑…。


こちらも協会を代表する高名な武道家なのだが、なんとも、この言葉が似合う経歴と風貌。


ただ、反面、驚く程気さくな愛嬌のある方で、この、一見、相容れない雰囲気が不思議なくらい渾然一体となっており、素晴らしく魅力的な人物である。


あるとき、ご一緒させて頂いてる折りに、酒の勢いを借りて、地元に遊びに来て下さらないかとお誘いしてみた。


二つ返事とは、このこと。

町内の通いなれた銭湯にでも出向く程度の気軽さで遊びに来て下さった。


この先生のもとに月に一回程度は稽古に出向くのだが、毎回毎回、古今の英雄は、かくやあらんと、愉快な豪傑振りを間近で勉強させて頂いている。


協会空手の代名詞の様な御仁なので、苛烈な稽古でも有名なのだが、稽古後の御相伴では、この先生の愛嬌についつい甘えてしまうし、こういうレベルの先生と同じ空気を吸いながら一献やっているという非現実感と、恍惚感がたまらない。


こういう立場にあられる先生に、気軽にお声掛、お誘い頂くのは非常に嬉しいし、これまた非常に光栄なのだが、ふとした瞬間に自分が、かの御仁の好意に甘え、知らずのうちに増長している事にハタと気付かされるのである。


慎まなければならない、戒めなければならない、可愛がられている分、下手は下手なりに努力はせねばならないと気付かされる。


なるほど。と、

ここでも、また合点がいく。


人に何かを伝えるというのはこういう事なのかも知れない。


技を教える先生は、数あれど、技だけではなく心を伝えてくれる先生は、稀有な存在であろう。


こういう先生こそ師と呼ぶに能いする。


このお二方に共通して言えるのは、どの世界でもそうなのだろうが、名誉名声を自ら手中にした超一流は、飾らないし気取らない。


簡単に言えばすべてに嘘がない。


人間は誰しも、人に好かれたいし、良く思われたい。

都合の悪い事からは身を遠ざけたいし、自分が思ってる以上に他人から評価されたい。

相手を傷つけまいと、自分に言い聞かせながら嘘もつく。

ついつい尊大に振る舞ったり、時には偽ったりしてしまうのだが、超一流は、それを軽く超越してしまっている。


その必要がないからである。


他人からの評価に生涯を通じて晒され続け、業界のトップランナーとしての栄枯を味わい続け、世界中の何万という人間達から尊敬を得ている様な人物は、もはや常人ではないのであろう。


そんな人物達の教えと生き様を見習いたいと思っても、栄華処か、思い返すと負けた思い出ばかりの三流の身では、容易に出来るものでは無いことは私にだって良くわかる。

ただ、師たちは、そんな非才にこう教えてくれるのだ。


俺達を真似しよう等とは思うな、ただ、ただ嘘をつかず、誠意を持って自然体で事に当たれと。


いつの間にか、歳を重ね、自然と廻りが持ち上げてくれているうちに、こんな当たり前の事も忘れがちになってしまう。


至誠に悖りなかりしか。


日々、これを自問自答。


修行の道とは、とかく奥深いものだと、つくづく思う。