春風駘蕩。
受験シーズンも終わり、春の訪れを日に日に感じる。
今年は、高校受験が3名、大学受験が3名。
全員トップクラスの高校、大学に合格した。
本当に良く頑張ったと思う。
空手を長く続けている子は全体的に学習能力も高いと体験的に感じている。
空手とは本来、脳を含む身体機能を制御し巧みに操る技術を學ぶのが大きな目的なので、当然、暗記と模倣を重視する現在の学習だったら、適応、応用、出来るようにはなるだろうと思う。
ただ難しいのは、塾に通ってるから偏差値がメキメキと上がるのではない様に、空手の道場に通ってるからといって空手の腕がメキメキとあがるというようなものでもない。
知育も、体育も、学びに置いてはすべからく、正しいベクトルに効果的に積み上げていかなければ結果は出にくい。
いたずらに時間をかけて机にしがみついたり、がむしゃらに身体を動かすより、無駄なく積み上げる方法を、的確な指導のもと、自分なりに工夫し探す必要があるのだ。
良くスポーツバラエティ番組で逆上がりが出来ない子か一流選手に習うと、あっという間に出来るようになる、あの光景を想像して頂くと分かりやすいと思う。
私見混じり言ってしまえば、これさえ出来れば、塾に行って伸びる子は、塾にそれほど頼らずとも伸びるし、伸びない子は、どれだけ塾に通っても伸びない事がある。
逆説的に付け加えると、そうやって導いて上げられるのが師として有るべき姿であり、未熟で不出来な自分などは、さらなる良師のもと、一学生として、日夜、研鑽と工夫を怠らない心づもりでもいなければとつくづく考える。
空手の話である。
今年は松濤館流、もとい近代空手の祖である船越義珍翁生誕150周年である。
その記念すべき年の県大会。
今年は大善戦と言って良い結果だった。
去年の中学生団体組手の優賞も嬉しかったが、今年の小学生高学年男子団体組手に於て全員が0の状態で入門してきた子達の優賞は、また格別の想いがある。
公式戦初参加2名を含んでのチームで、本当に良くやったと思う。
何より毎回、毎回、痛い思いをしながら頑張ってきてた子供たちに結果で報いさせる事が出来て、正直、安堵の気持ちで一杯だ。
的確な指導に対し、学ぶ姿勢で工夫し積み上げ、それを継続し、結果という形にする。
これが、徹頭徹尾、何れ程、困難な事か、大人なら骨身に染みてわかるだろう。
『我ここにありて、常に切なり』
禅宗開祖の言葉である。
人生は一瞬一瞬の連続であり、その一瞬にしか自分は存在しない。
だから、今、目前に有ることに精一杯取り組め。というような意味である。
選手諸君の健闘はもとより、工夫し研鑽しつづけてくれている我が道場の良師諸先生に改めて、心よりの賛辞と謝意を表したい。
ありがとう。おめでとう。
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