好きとこだわり

その昔、というか20年近く前の話しである。

本職の方でちょっとした若手の会があった。

そこで取りまとめと言うか、代表を一時期やってた時の話しである。

 

好き者・数寄者

 

これ、どう読むだろう。

 

スキシャ?スキモノ?

 

筆者は歴史が好きなので偶さか知っていたが、その会の集まりをやってる時に、現代の名匠と言えるこの世界の先輩と語らうみたいな企画をやっていたとき、匠から名指しで、これを何と読む?と質問された。

 

正直、どっちで答えるか迷ったのだが、あえて通例ではない方の読み方で

 

「すきものっ|||」

 

と答えたら、ふざけてると思ったらしく烈火のごとく怒られた。

 

まあ、通俗的にはすきものって言ったら猥褻・猥雑な印象を持つだろうなと、思ったが後悔はしていない。

 

おそらく常識的には「すきしゃ」と読むのが通俗的だとはおもう。

 

でも筆者はスキモノの響きに込められた、ちょっとしたユーモアと低俗さが好きである。

スキシャっていったら頭に茶頭巾なんぞ乗っけて、端正に整理された庭なんぞを眺めながら、4畳半に世界を見る。てな具合に大げさになりがちだが、スキモノには、手軽に人からからかわれる気安さを感じる。

 

好きこそものの上手なれって、良い言葉だな。

 

 

さて前置きが長くなったが、今日の本題はスキモノ。

 

スキって、要は拘りなんじゃないかって最近思うようになったという話である。

 

例えば、映画監督、作家、画家、ダンス、表現の手法はなんでも良いけど、作品や技術が世に送り出るとき、それが世間に認められるとかどうとかよりも、自分の拘りがわかってくれる人だけわかってくれれば良いって割り切りが、あるのかどうかっていう点が実はとても大事なんじゃないかって最近気づいた。

      

人に何かを評価されるには、勿論客観性は大事でも、万人に認められようと足掻く事より、自分が何をしたいのか、何を表現したいのかって言うことの方が優先度が高いし、結果的にそれが、評価だの、進歩だの、発展だのに繋がるって事であって、俺がやりたいことをやってんだから、好きにやらせろっていうのとは、少し違う。


映画だって、監督や脚本や演出や俳優がいて、それぞれがそれぞれの拘りが通る部分で作品を作るって意味で。

監督だから、俺の言うとおりにやれ。結果は俺が責任持つからって言っても、おそらく人も物もついてはこんだろうなぁと。

それを集団を置いてきぼりにして、ご自分の美学だか拘りに皆を乗せちゃえるのは巨匠、名人、大金持ち、変人とかの特異な方たちだけだと思う。

 

このコロナのさなか、自分がやってきたのは、現時点での僕なりの空手に対する拘りだったり、身体の使い方だったりを、独り善がりにならず、平衡感覚を持ったまま、いかに表現できるか?って事に尽きた。

 

おそらく皆には、??もあったろうし、試行錯誤を自分なりに重ねてきている過程結なんだけど、結果それが評価されたというのは、自分の現在の空手の積み方や方向が間違ってないって自信が少しもてる様になった。

 

当然だけど、この偉そうに言ってる自分の空手たって、一から研鑽したわけでなく、自分が尊敬している先生をはじめ、影響の大小はあるけれど、拘りが強い人の空手を受け継いでいるだけではあるのだが、こういうのが受け継ぐって事なのではないのかとも思ったりする。

 

ただ、とかく試合ともなると強い子、うまい人の真似をしたくなっちゃうし、追いかけちゃうもんだ。


うちは、こう見えて試合を重視していない。


あくまで試合は過程の話で、楽しんでとはいかないけど、楽しむ余裕を持ってやれるくらいがちょうど良いって考えてる。

 

でも最近気づいたのだが、追っかけたり、真似したり指導者がそれをやってるうちは、絶対に前を走ってる子を追い越せないし、上達も出来ない。

 

優れるより、異なれ。ってオリラジの中田君の言葉を思い出す。良いこと言うぜ。

協会空手をやってて、心底惚れてる自分からすると、異なるまでは流石にあかんとは思うが、少なくとも自分の空手が、他の沢山の強い先生、強い子達と違ってることに引け目を感じる必要はないと思う。

 

ライバルは沢山いてもいいし、目標も高くて良い。

でもね、本当に勝ちたいって思うなら、勝ちたいではなくて、自分の拘りを理解してくれる人がいたら良いなって考えたほうが結果的には良い方向に行く気がする。体験的に。

 

ただ、それを突き詰めすぎちゃうと、逆に誰も理解してくれなくてもかまわないし、結果なんて一切気にしない。

こうなるともう悟りの境地。

まぁ、ついてくる子達にしたらたまったもんじゃなかろう・・。

意外と、空手界、こういう先生も多い。

 

自戒を込めて、これからも自分の空手を研鑽するために、凄い強い先生の稽古でぶん殴られよう。

おまえなんかまだまだだって、言ってもらおう。

 

こうしていれば、結果から逃げずに、ど真ん中で、これからも自分の拘りで勝負できると思う。