道 場 訓
空手道修行者にとって何をもっても心掛けなければならない。人生に於いては、実直に正しい道を歩み、空手のみならず諸事、諸芸に触れ、知恵を研ぎ、いろいろな職の道を知り、物事の損得をわきまえ、真実を見極める力をつけ、目に見えないところを悟り、わずかなる小さき処にも目を向け気づき、日々の厳しい稽古の中でお互いを尊重し人間性の成長にむけ努力することが必須である。この意識を持てば、生活が変わる、生活が変われば人生が変わる、人生が変われば世界が変わる。第二条以下の道場訓はすべて第一条の目標達成の手法であり、解説である。
『至誠息む(やすむ)こと無し』誠とは真心であり、親、兄弟、友人、全ての人、生命に対し真心を持ち、相手を敬い尊び、常に潔く、嘘をつかず、譲り、有言実行、事に当たっては全力で立ち向かい、挑戦する。真心こそが人を動かす極意である。
努力なくして成功無し。それが真に正しい事だと理解はしてはいるが、己の未熟さや弱さによって空手道のみならず、学問・諸事諸芸で努力が継続出来ず人は道を外れてしまう。その弱さ未熟さ故に人は補おうと他者と交わり結ぶ。だが逆に自分の強さが人に何かを与えるとしたらどうだろう。己が努力し、道を歩み続けて、更なる強く賢き者となれば、周りを幸福にする事も出来るかもしれないし世界を変えることも出来るかもしれない。
学問・諸事諸芸のみならず人生に於いて、先達は若者の道となり暗き道を照らし、ある道に熟達するものは志す者の道標になる。故に空手道修行者は、自分の弱き処を理解し、『点滴岩をも穿つ』。努力すると断固たる決意を、まずしなければならない。
礼儀・礼節とは、空手道修行者にとって最も美徳とされるべき人間性であり秩序の根本である。礼という相手に対する行動規範の一つが、自己の人間性を高め人生を好転させ、より良く充実させる最も効果的な手法である。
また、相手を尊敬して礼を尽くすのは、当然であるが実は、礼儀・礼節は自分自身のためにあるということを知らなければならない。初対面で相手に対して堂々としかも丁重に礼を尽くせば相手は感応して信頼を高めることができ、後の味方となり友となる。相手の無礼を引き出すは、己の未熟さと知らなくてはならない。己の真価は礼儀・礼節にあらわれると理解せよ。顔はうつむかず、傾かず、俯かず、眉合いにしわを寄せ、目を動かさず、瞬きをせぬようにし、目を少しすくめる様にして、うらやかに見るようにし鼻筋を直にし、うなじに力を入れ、肩を下げ、膝より足先に力を入れ腰を立て、腹をはる。
空手道修行者は、常に穏やかなる心持にして『身に構えなく心に構えあり』有構無構を心がけ、相手の心を抑え殺気は受け流し和気を横溢させる。争わずに勝つ。これが武道の真髄であり、また、道を志す者の矜持である。
五条の最終訓。
空手道修行者が心深く意味を考えるべき事である。空手道は護身術に当然なりうる。熟達すれば生殺与奪も自在になろう。鍛錬初期の段階では、血気に任せ、内なる野生を呼び覚まし、一心不乱に稽古に励み、火の出るような気迫を込めて疾風怒涛、相手に打ち込むことが肝要である。長じては、打たせて打たず。打って反省、打たれて感謝。猛る心を心の内に抑え、技術を駆使し重厚な受けを持って相手を沈黙化させる。さらに長じれば礼節と気魄のみにて相手を制する事も可能であろう。これこそが空手道の醍醐味であり、実は表面的な技術ではなく、心術操作こそが真の空手道の奥義である。
相手の怒涛の攻撃に対し、必殺の間合いまで入り込みながらも、なお涼やかな面持ちにて変化する。主体変容。危機にあっても何一つ表情をかえない心胆。その中にあって敵が海と思えば山と思い山と思えば海と思う。
千変万化、相手によって変化する為に相手の気持ちを推し量るためには、相手に成りきらねばならない。
そこには血気など無用であり、驕り、昂り、焦り、恐怖、怯え、猛り、動揺それら全てが、相手にとっては大いなる利になる事を努々、忘れてはならない。
前項で述べ三条を絶えず意識し稽古を続けていれば、血気に任せた暴力的な殺気とは無縁となるべきである。
それでも、プレッシャーや他者からの評価、劣等感等、人が苦しむ煩悩には尽きる事がない。故に血気を戒める心を常に推し量りなさいと師は説いているのである。
日本空手協会相州二宮
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